慶応二年(1866)
竹成の五百羅漢さん
大日如来を中心にじつにたくさんの仏さんが集合されています
五百羅漢は仏陀の死後の結集に集まった五百人の仏弟子のことを言いますが ここには七福神 弘法大師 役行者 天照大神 猿田彦さんなどなど オールスターキャストです
明治の神仏分離や廃仏毀釈までの庶民信仰の実際は このような神仏混淆の風景を自然に受け入れられるものだったろうとおもいます
現地案内板より
大日堂境内の五百羅漢
現地案内板より引用
三重県指定史跡
指定日昭和四十二年二月十日
所在地三重郡菰野町大字竹成
所有者竹成区
高さ約七mの小高い草山に、露座で行儀良く居並ぶ五百羅漢は、県内でも類のない石仏群像である。竹成出身の照空上人(神瑞和尚)が嘉永五年(1852)年に発願、桑名の石工、石長こと藤原長兵衛一門の手により慶応二(1866)年に完成した。工事半ばの安政二(1855)年照空上人は入滅されたが、その遺志を竹成村の人々が継ぎ、前後十五年の歳月を経て完成させた。
頂上の大日如来の四方仏を中心に、阿弥陀如来と弥勒等の諸菩薩に地蔵尊、北面には七福神、猿田彦、何面に閻魔大王と羅漢像などか林立する様は壮観であり、神と仏が混在する庶民信仰を見事にあらわしている。明治の廃仏毀釈などで一部が損なわれたものの現在四百六十九体が遺されている。
平成十三年三月
三重県教育委員会
菰野町教育委員会
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