南北朝時代
伊賀市指定文化財
一光三尊形式の地蔵さん
とても優しいお顔が印象的な地蔵さんです ひとつの舟形光背の中に三体の地蔵さんが並んでいます 中央の大きな地蔵さんは右手に錫杖 左手に宝珠を持った普通の地蔵さん 右側の地蔵さんは右手で与願印 左手に宝珠 左側の地蔵さんは 両手を胸の前で合掌しています
奈良道の三地蔵
長田地区には同じような一光三尊形式の地蔵さんが他にもおいでで「奈良道の三地蔵」として伊賀市の有形文化財に登録されています ※おもん地蔵と笠地蔵と見届け地蔵
両脇の地蔵さんの姿が 阿弥陀三尊の両脇侍 観音菩薩と普賢菩薩の姿に似ていることから 阿弥陀三尊の姿を映した地蔵さんではないかとも言われています ※「石仏」清水俊明氏著
信長の伊賀侵攻最後の激戦地
信長に焼かれた射手神社の神霊が飛び去っていくのをこの地蔵さんが見とどけたという天正伊賀の乱にまつわる伝説があります この長田の辺りは伊賀侵攻の際の激戦地でした 現在の長田地区の中心部は見届け地蔵さんのおられる三軒家からは2キロほど離れていますが そのあたりから南の小高い山上に比自山城がありました 北伊賀の土豪2700人余りが妻子と共にそこに立て籠って最後まで抵抗した場所です ここに立ちながら そんな悲惨な戦乱の様子も見届けてきた地蔵さんです
伊賀市指定有形文化財 見とどけ地蔵
伊賀市教育委員会三軒家の集落の西に射手神社旧社地があります。旧社地のある旧街道(加太越え奈良道)沿いに、花崗岩を舟形に彫り、三体の地蔵立像が表現された南北朝期の石仏がありました。右手に錫、左手に宝珠をもった地蔵(像高64㎝)を中心に、その左に宝珠をもった地蔵、右には合掌する地蔵(像高32㎝)がそれぞれ蓮華座上に配置されています。天正の伊賀の乱に射手神社が焼かれたとき心(神)霊が火だるまとなって東の仏性寺の方向に飛んでいったのをこの地蔵が見とどけたという伝説があります。旧街道を旅する人々の心を休める信仰の対象であったことでしょう。見とどけ地蔵と呼ばれ、現在は稲荷社の前でまつられています。
現地案内板より引用
なお、国道163号線の南にある川の対岸の山裾には、東へ1300m進んだところに笠地蔵、さらに800m先にはおもん地蔵がまつられていて、三つの地蔵は奈良道の三地蔵として市の有形文化財(彫刻)に指定されています。
参考書籍
「伊賀の石仏拓本集」P77 市田進一
「石仏ー庶民信仰のこころ」P157 清水俊明
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