別府の十王石仏(足止め地蔵) 伊賀市別府

元禄二年(1689)  

冥界の審理を司る十王

国道165号線(初瀬街道)の青山駅口交差点から近鉄青山駅に向かって折れ 駅のロータリーの手前を東に右折する そこから200mほど進むと左手に辻堂があります 「足止め地蔵」と看板が出ていますが じつは可愛らしい顔をした十王さんです 奈良を歩くとお地蔵様の光背に十王が彫られたものを見ることがありますが 十王だけが彫られた石仏はあまり見かけないかもしれません
元禄二年三月十六日の記銘があります 偶然ですが 松尾芭蕉が江戸深川から奥の細道の旅に出発したのはその翌日 元禄二年三月二十七日のことでした

十王の審理

死者の審理は通常七回行われる。 
没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。 
なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないをなくすための受け皿として機能していたようだ。 
十王の裁判の裁きは特に閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められるが、ほかに「この世に残された遺族による追善供養における態度」も「証拠品」とされるという。

出典;フリー百科事典 Wikipedia より引用

よく見ると十一王?

中央に閻魔さん その左右にそれぞれ五尊が並でいます ということは十一王ということになってしまいますね 
旧青山町広報誌「青山広報」に連載された「青山風土記」昭和59年4月号の中では 『一番左手には書記官』と書かれていて 一番左端を「司録」としていますが 川勝政太郎氏「伊賀」では、『十王の他になお閻魔王を作っています』とあって 閻魔王だけが主と脇に2体あるとされています
おもしろく思ったのは 手に笏を持った中央の閻魔さんは蓮華座に座っておられること これは閻魔王を地蔵菩薩の化身として見立てているからでしょうか 十王を両脇に勢揃いさせ 裁判長の閻魔王の本地である地蔵菩薩を主尊としたデザインだとしてみると 川勝氏の『十王の他になお閻魔王を作っています』の方が腑に落ちます また「足止め地蔵」と呼ばれていることも納得がいくような気がします

参考書籍

「伊賀」P29 川勝政太郎  

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