南北朝時代
伊賀市指定文化財
現在の国道163号線は木津川の支流平野川の北岸に沿って通っていますが 昔の大和街道は平野川の南岸を通っていました おもん地蔵さんは今では使われなくなったその旧道の傍にそっと佇んでいます この小川に沿って少し西に進んだところには笠地蔵さんがあり 三軒家の見届け地蔵さんと合わせて「奈良道の三地蔵」として伊賀市の有形文化財に指定されています
ひとつの舟形光背の中に三体の地蔵さんが並ぶ一光三尊形式の地蔵さんです 三軒家の見届け地蔵さんとは同時期に同じ石工によってつくられたと考えられています 優しいお顔が印象的です
それにしてもさみしい場所です 野仏の佇まいとしてはふさわしいのかもしれませんが せめて小公園にでも整備して 子供が遊ぶところを地蔵さんに見せてあげたいものだと思いました
勧請縄
おもん地蔵さんの少し西に平野川をまたいで勧請縄が張られていました ここは地元では「山前(さんまい)坂」と呼ばれているそうで 村落に厄災が侵入しないよう80mの大注連縄に藁で作った鯛やワラジやヒョウタンなどの飾り物を付けて結界としています 今年も1月11日に新しい勧請縄が張られました この長田の勧請縄には次のような伝説が伝わっています
「未申(南西)から丑寅(東北)の方向に流れる川は方角が悪いため、そこから大蛇が男の人に化けて出て女の人をさらっていった。それでしめ縄を張ってこんなことがないようにした。(『ふるさとの昔』長田平尾)」
上野市史 民俗編 下巻
「昔々、若狭の水と小谷川の水が続いていて、大蛇が行ったり来たりしていた。大蛇は、殿様に仕える若衆に化けて若い人を男の人も女の人もさらっていった。連れて行かれたり食べられたりしてもう二度と戻って来なくなった。そういうことがなくなるようにしめ縄を張るようになった。(市制50周年記念事業 長田小学校)」
参考書籍
「伊賀の石仏拓本集」P75 市田進一
「石仏ー庶民信仰のこころ」P158 清水俊明
コメント