中ノ瀬阿弥陀三尊磨崖仏 伊賀市寺田

主尊は鎌倉時代後期 
三重県有形文化財 

ここ中ノ瀬の阿弥陀さんから伊賀街道をさらに東に8kmほど行くと新大仏寺があります 東大寺の大勧進職 重源が作った伊賀別所です ここには快慶作の木造如来坐像(国の重要文化財)が残っています 大規模な補修を経て現在は盧遮那仏坐像として祀られていますが 元は三尊形式の阿弥陀仏立像だでした  
快慶の阿弥陀三尊像といえば浄土寺(兵庫県小野市)の阿弥陀三尊像を思い浮かべますが 新大仏寺の三尊像もそれに似たものだったろうとおもいます  ここ中ノ瀬の阿弥陀磨崖仏はおそらく新大仏寺の阿弥陀三尊像を模したもので 伊賀街道をいく旅人をそこにいざなう役割もあったのではないでしょうか

右脇侍の普賢菩薩と左脇侍の観音菩薩

左端に不動明王と右端に地蔵菩薩

伊賀県民センターが製作したパンフレットを見ると 地元では「小売り地蔵」と呼ばれたそうだ 主尊の阿弥陀さんを地蔵に見立て その前に赤ん坊を捨てて 人に拾ってもらうと丈夫に育つという謂れがあり 子供の無病息災を祈願したという

県指定文化財 彫刻 中ノ瀬磨崖仏 大光寺
伊賀市教育委員会

伝阿弥陀三尊像 
中尊 像高 276センチメートル 
左脇侍 像高 153センチメートル 
右脇侍 像高 135センチメートル 
地蔵菩薩立像 像高 251センチメートル 
不動明王立像 像高 233センチメートル 
この石仏群は花崗岩の岩壁に彫られており、中央の伝阿弥陀如来立像は伊賀市の磨崖仏としては最大のものである。 
石仏群は三つにわけられ、向かって右側から、梵字と地蔵菩薩立像、伝阿弥陀三尊像、不動明王立像の順に配置されており、これらは伊賀別所(大山田新大仏寺)創建にたずさわった宋人系石工の子孫の手によって造立されたものと考えられている。 
三尊像のうちの中尊蔵のみが半肉彫であり、他の像は線刻である。中尊像は、大きな目鼻立ちの面相と陰影の深い彫り方、体部と衣文の深い彫り込みなどに鎌倉時代の様式がみられる。しかし、他の像の作風がこの像と比べて違っていることや、全体の構成に統一感がないことから、最初にこの像が彫り出された後、鎌倉時代から室町時代にかけて、徐々に他の像も彫られていったと考えられる。 
なお、これらの石仏群は古くには伊賀別所参拝の人々によって、前を流れる服部川の対岸の街道から拝まれていたと考えられる。       阿弥陀さんの左に蓮台を捧げ持つ観音菩薩 右に合掌する勢至菩薩     不動明王と地蔵菩薩

現地案内板より引用

参考書籍

「伊賀の石仏拓本集」P56〜57 市田進一 
「三重県石造美術」P30 太田古朴 
「伊賀」P69 川勝政太郎 
「石仏ー庶民信仰のこころ」P159 清水俊明

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