青山地蔵 伊賀市下川原

南北朝時代

青山トンネルを出てもうすぐ乗馬クラブが見えるというあたり 右手の窪地に宝篋印塔や石仏が集められた場所があります

中央の岩肌に四角く浅い龕部を彫り窪めて その中に定型の地蔵さんが刻まれています 「青山大師」とも呼ばれているようです 

国道をさらに数百メートル下った右手に四国八十八ヶ所のミニ霊場がありますが その霊場は元々はここ青山地蔵さんの場所にあったようです たぶん国道の拡幅に伴ってだ現在の場所に移設されたようだろうとおもいます 
「青山地蔵さん」と呼ばれたり「青山大師さん」と呼ばれたりするのはそのような理由からかとおもいます

傍らに「近鉄旧青山トンネル殉職者供養塔」が建っています 毎年3月には慰霊祭がおこなわれています 昭和3年から約30年かけて行われた旧青山トンネルの工事では 計16人の犠牲者を出していますが その犠牲者に8人の朝鮮人労働者が含まれていたことはあまり知られていません 10年ほど前に地元の中学生が丹念な聞き取り調査を重ねて事実を掘り起こしたことから慰霊祭が行われるようになりました 
国道や鉄道の開通で伊勢と伊賀の往来は驚くほど便利になりましたが 地蔵さんはそれらの変遷の全てを眺めてきたのだろうとおもいます 昼でも薄暗い場所であまり立ち寄る人のない場所になってしまいましたが 日本の近代化の影で異国の地で殉職した人たちのことも忘れないようにしたいとおもいます

供養塔に並んで岩肌から切り離された六地蔵さんが置かれています

参考書籍

「三重県石造美術」P108 太田古朴 
「青山町史」P968 青山町 

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