南北朝時代
古くに拓かれた土地なのだろうか… 伊賀にはそう思わせる地名が多くありますが 佐那具もその一つですね
町内には三重県下最大の御墓山古墳があります 隣接する千歳村からは銅鐸が出土していて 鐸を作那伎「サナギ」と読むことから佐那具と呼ばれるようになったとか または 百済から渡来した佐奈宣氏を始祖とする氏族が定住したことから佐那具と呼ばれるようになったとか 何れにせよ古代から連綿と続いている古い在所です
北に進めば近江 東へ進めば伊勢へと 上野盆地への入り口に当たるという地勢上の理由から 古くから重要とされてきた場所でした

佐那具のスーパーマケットの前にはコンクリートの長屋のような覆屋があって 長方形の石板に半薄肉彫りされた地蔵さんがおられます 隅切りの深い枠取りをした中に三重の蓮華座をしつらえ二重光背を背負った座高35㎝ほどの持錫地蔵さんです
伊賀盆地の北東部にはこのような意匠の地蔵石龕が他にも見られます
天王寺下の地蔵さんから柘植川を挟んで500mほど離れたところにある浄土寺の地蔵石龕仏 西に2.5㎞ほど離れますが 西条生蓮寺の地蔵坐像などが思い浮かびます いずれも南北朝期のもので これらは北向地蔵など寺田型の地蔵を模倣または意識したもののように見えます
地蔵さんの前の国道は旧大和街道で 街道に沿って流れる柘植川を東に遡っていくと 川はすぐにふたつに分岐していて その一方の滝川に沿って南に更に遡上していくと やがて川東の阿弥陀寺にたどり着きます
阿弥陀寺の東方にはかつて大聖寺という真言律宗の寺院がありました 現在阿弥陀寺の境内に残る応長元年(1311)銘の宝篋印塔と鎌倉時代後期の大きな五輪塔とはその大聖寺から移されたものと考えられています 14世紀末の伊賀国内には12ヶ寺もの西大寺末寺が存在したのですが この大聖寺は寺田の大岡寺(太光寺)などとともに叡尊や忍性の真言律宗の教線を支える重要な拠点の一つであったようです とすれば寺田と南宮山を挟んで千載や佐那具や壬生野(川東•川西•山畑)の辺りには西大寺流に帯同した石工の往来が盛んにあったのではないかと想像します

参考書籍
「伊賀の石仏拓本集」P28 市田進一
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