正和三年(1314)
三重県指定文化財

桃園の三地蔵は津市牧町の宝樹寺 川方町の栄松寺 新家町の光明寺の三か寺に残る鎌倉後期の地蔵さんです
三体ともに正和三年(1314年)の銘があり ほぼ同時に作られたものですが 宝樹寺は坐像 栄松寺は石龕像 光明寺は立像と それぞれに工夫を凝らした見事な石仏です
牧町は元々は雲出川流域の低地にあった集落ですが 光明寺がある新家町と同様に洪水を避けて現在の河岸段丘上に集団移転した地域です

本堂左手に御堂があります 庫裏にまわってお願いして引き戸を開けてもらいました 地蔵さんは右手に錫杖 左手は膝の上で宝珠を持った坐像で 砂岩に彫られています 光背と一体になった本体 台座の蓮華 敷茄子 反花の四つの部材を組み合わせています 供台で台座の下部は見えませんが美しい三段魚鱗葺きの蓮華座はよく見えています 木彫表現を企画したような丸彫りに近い肉彫りで 製作者のなみなみならぬ意欲や自信が感じられます 全体に宋風で 宋の石工伊行末の末孫の作ではないかと言われています
光背には正和三年八月二十九日建立とあって 三地蔵の中では一番最後に作られています

宝樹寺の門前を旧奈良街道が通っています 関から上野を通って奈良に至る「大和街道」のことではなく 津と上野を結ぶ伊賀街道から五百野(津市美里町)で 南に分岐し久居を経て月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道に合流する道です 奈良大阪方面からの参宮客も多くがこの門前を通ったことだろうとおもいます

参考書籍
「久居市史(上巻)」P169 久居市
「一志郡史(下巻)」P539 一志郡
「三重県石造美術」P65 太田古朴
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