室町前期(應永)
ダンプカーの往来を見守る地蔵さん
伊賀を行き来していると頻繁に通る中ノ瀬の磨崖仏 そのすぐそばの砕石工場の 敷地の中に少し入ったような場所なので はじめはなかなか気付くことができませんでした
応永の年号が読み取れるようです(市田進一氏『伊賀の石仏拓本集』) 伊賀の在銘の石仏の中ではかなり古い仏さんです 彫られてから600年ほどの時間が流れて周りの景色も随分変わったことでしょう 石の仏は石だからこそ何一つ変わらず立ち続けていますが なんとかこれからも守り伝えていきたいものです
志田三郎先生義
側の石柱には志田三郎先生義広終焉伝承地とあります 甥の源義仲と共に上洛を果たしましたが 宇治川の戦いに後に義仲が義経に討たれた後は敗走 吾妻鏡には鈴鹿服部山の合戦の末に斬首されたとあります
伊賀市服部には台上寺というお寺がありますが 伊賀に落ちた義広を千戸の山寺で自害させた功により平家領であった服部郷を与えられた服部六郎時定の屋敷跡に建てられています
昔はこの前を街道が通っていて北に向かうと大和街道に合流することができました 少し上流の真泥橋から服部川の行方を見ると 岡山と荒木の山の間に分け入るように伊賀街道が伸びています この辺りにはススキ原が美しく広がっています
参考書籍
「伊賀の石仏拓本集」P44 市田進一
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