慈福寺の石仏 伊賀市阿保

室町時代〜

阿保のあたりをカメラを下げて歩くのが好きです 続日本紀にも見えるずいぶん昔から賑わった町です 初瀬街道が東西に町を貫き 北へは上野街道が 南へは八知街道が分岐する要地にあたっています
伊賀に入国した藤堂高虎は上野と名張と阿保以外の商売を禁じたことから 今でもこのあたりの街道沿いには商家が軒を並べていますが すでに店を閉めてしまったところもポツポツと見られて少し淋しい気がします

町のほぼ中心部に建つ慈福寺では室町末から安土桃山時代の石仏を見ることができます
中央の三角の笠石を載せた地蔵さんには天正十二年(1584)の銘があります 左手に宝珠を持ち右手は錫杖を持たずに与願印を結ぶ古式の地蔵さんです
右は慶長三年(1598)の銘が刻まれた阿弥陀さん 関ヶ原の二年前 秀吉死去の年です 頭上には阿弥陀の種子 ह्रीःキリークが刻まれています 青山町史などこの仏さんを地蔵さんと紹介する書籍が多くありますが 市田進一氏の拓られた拓本を見ると 来迎印を結んだ阿弥陀さんだということがよくわかります

こちらは無縁塔の地蔵さん
天文七年(1538)の銘があります
いい顔で笑っておられる 

無縁塔の地蔵さんから裏側に廻ると美しい阿弥陀さんの姿が目に入ります 頭上には阿弥陀の種子 ह्रीः キリークが刻まれています 「青山町史」は銘文に「慶長」の文字を読んでいるが いまではそれを確認することはできないようです

参考書籍

「伊賀の石仏拓本集」市田進一 P200〜203
「伊賀の金石文行脚」岡田榮吉 P187
「青山町史」 P964
「三重県古銘集成」和田年哉

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