弘安八年(1285)
三重県指定文化財
津市久居元町
私の職場からなら30分とかからない場所にこのような立派な山門のお寺があることを知らなかった
お寺の境内を出て少し歩くと墓地の入り口にあたる場所に五輪塔婆石が立っています 五輪塔の下部を長く伸ばして銘文を刻み 直接地下に穴を掘って埋めてある 県の有形文化財に指定されていて石造板五輪塔と呼ばれています
石造 板五輪塔 1基
三重県指定文化財 建造物
現地案内板より引用
時代 鎌倉時代
所有者 賢明寺
指定 昭和28年5月7日
この塔は、板状に加工した扁平な砂岩でできた一石五輪塔です。鎌倉時代中期の弘安8年(1285)に造られ、県下では数少ない板碑で、一石五輪塔として最古のものです。知輪部分が通常の五輪塔よりかなり長いのが特徴です。
大きさは、地上高約166㎝、幅40㎝、厚さは25㎝で、五輪塔の各輪(空、風、火、水、地)には、正面(東向)に発心門、右側(北向)に涅槃門、左側(南向)に修行門、背面(西向)に菩提門の信仰を表す梵字が刻まれています。
銘文の願阿尼は、東大寺再建に尽力した重源上人の母ではないかという説もありますが、定説には至っていません。 津市教育委員会
石造板五輪塔の解説
現地案内板より引用
昭和28年5月7日三重県文化財指定
一石で半裁にした形の石造板五輪塔で鎌倉中期の典型的な形をなし県下では唯一のものである風化したその後面のやわらかさは念仏信仰のおもむきを充分伝えている最近奈良興善寺の文書により建長四年(1252年)五月願阿は年老いて病に臥し、来世に安楽を求めようと「あみだ仏油料」を寄進し、同年閉眼したことが判明した、弘安八年(1285年)は、丁度願阿が死亡して三十三年に当たるので、母の供養のためにこの石造板五輪塔を建てたものと伝えられている。而し、異説も多い。銘は次のように記されている
(正面)キャカラバァ(発心門)弘安八二彼岸初日
(右側)キャクカクラクバクアク(涅槃門)為先妃尼願阿
(左側)キャーカーラーバーアー(修行門)迎周忌敬白
(背面)(ケン)カンランバンアン(菩提門)
昭和五十一年三月 久居市教育委員会
参考書籍
「三重県石造美術」P163 太田古朴
「久居市史上巻」P161 岡田文雄
「一志郡史下巻」P554 大西源一 等
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