正慶元年(1332)

亀山神社境内にひっそりと残る宝篋印塔
亀山城の石垣に積み込まれていたものが 戦後石垣を取り壊した際に発見されたものです
一面に銘文が残っています

亀山市指定文化財宝篋印塔基礎部
現地案内板より
この宝篋印塔は、この地にあった善導寺が西町に移転された時に残されたものとされ、昭和二十六年の西小学校運動場拡張工事の際、取り壊された本丸石垣の中から五輪塔などと共に発見された。
石材は花崗岩を用い、高さ五三.一センチ、幅七六センチの基礎と、二段の塔身を受ける部分から成る。基礎の四面はいずれも素面であり、輪郭や格狭間はない。銘文は一面にのみ、
□悲母卅三廻
之追善並迎孝
孫禅観尼一周
之忌景為頓証
卉乃至法界平
□利益造之
正慶元壬申年七月十日
願主沙弥道智
と刻まれている。
正慶元年(1332)は南北朝期初頭の北朝年号で、市内在銘石造品としては最古である。この宝篋印塔基礎部は紀年銘のある基準資料として位置付けることができる貴重な遺例である。
平成十六年九月建之
亀山市教育委員会


参考書籍
「三重県石造美術」P96 太田古朴
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