加村垣内の三地蔵 津市森町

室町後期〜江戸前期

森町加村は長野川の蛇行に沿って広がった田園地帯の背後の丘陵地に軒を並べる垣内集落です
集落には東と西と南の三方から道が通じていて
それぞれの入り口を 地蔵さんがガードマンのように守っています

集落へ入る南の入り口には小さな地蔵堂が建っています 中の地蔵さんは津市の文化財に指定されている室町後期の地蔵さんです

石造 地蔵菩薩立像

津市指定有形文化財(彫刻)
管理者 黒田組
砂岩製で、比較的形の整った地蔵菩薩像ですが、長年の風化により胴部右側が大きく剥離しています。光背の下部には「上泉 天文四年乙未八月廿四日」の銘文があります。上泉は寄進者でしょうか。天文四年は西暦1535年で戦国時代後半に当たります。戦国時代は仏教の発展が著しい時代でもあり、各宗各教派が地方の農村にまで布教に努め、教勢が一段と拡大しました。旧一志郡でもこの時期に寺院や布教所が数多くできました。この地蔵仏も、このような時代的変化の中でつくられたものと思われます。
その後の幾多の興亡のなかを祀り継がれ、現在に至りました。今は地元の黒田組の方々によって手厚く祀られています。
津市教育委員会

現地案内板より引用

こちらは西からの入り口の辻の地蔵さんです 「こけ地蔵」と呼ばれています 腰まで土中に埋まっている為にか 腰から下の病気に霊験があるといわれています

腰から下は埋まってしまっていますが もし立ち姿の地蔵さんならば 相当大きな地蔵さんのはずです 
室町末期から江戸初期の建立といわれています 
 

東からの入り口に当たる場所には墓地があります その一角に件の黒田組の墓所らしき場所があって そこでもやはり地蔵さんが集落の入り口を守っています

室町後期の建立と考えられています

地蔵さんが村の入り口で塞の神の役割をはたしています 他にも集落の中を歩いてみると 陰陽石や小五輪塔などが 細い小道の辻つじで結界を守っていました

参考書籍

「久居市史上巻」P170 岡田文雄 著
「一志郡史下巻」P582 大西源一 等著

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