永禄四年(1561)
旧嬉野町内の天花寺町 町名になっている天華寺は七世紀後半に造営された白鳳寺院で 塑像片や塼仏が多く出土しています 東に塔 西に金堂を配する立派な伽藍であったようです 平安時代まで存続していたようですが 今はその跡に曹洞宗の寺院が建っています
その天華寺の墓地の入り口に立つ地蔵さん 注意していないと見落としてしまいそうな小さな地蔵さんです
像の右に『□光童子』 像の左に『永禄四□十月十五日』の銘文があります 永禄四年というと西暦1561年 合ヶ野の地蔵さん(天正八年1580)より古く 旧嬉野町内の在銘の石仏の中では一番古い地蔵さんです
白鳳の古刹天華寺 ちょっと前までは里山の中にひそっりと埋もれるようで 古代のロマンをかきたてるような風景でしたが いまでは境内の東と南を県道が通ってすっかり変わってしまいました そんな事情もあって天華寺の墓地といっても お寺からは県道を渡って少し歩かなくてはなりません
墓掃除に来られていたご婦人に 旧嬉野町内では一番古い地蔵さんですと話すと大変驚いておられました 在所で大切になさってほしいとおもいます
参考書籍
「嬉野史-文化財民俗編」嬉野町 P436
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