光明寺裏山の二尊磨崖仏(苧紬地蔵) 伊賀市菖蒲池

苧紬地蔵 寛永六年(1629)
地蔵石仏 天文前期

古山界外の光明寺裏山に巨大な丸石に彫られた地蔵磨崖仏があるということは以前から知っていたのですが その裏山に入る道が皆目わからず 半ば諦めかけていたのですが 山の木々も色づいて 嫌いな「長い者」と出っくわすこともなくなり 意を決して出かけることにしました
まず光明寺裏山の詳細な地図を準備して裏山の様子を探ってみます これには伊賀市のHPから1/2500都市計画図をダウンロードして検討を始めたのですが 意外にスマートフォンのマップアプリが優秀で山中の細かな道まで記載されていて助かりました 
件の裏山は標高244.3mあるようです 光明寺の辺りで標高は195mほどなので標高差50mを登ることになります これなら山中で苦戦してもどうにかなりそうです
光明寺の裏山は歪な円錐形をした独立した小山のようで 光明寺の側からは道が確認できません 一旦裏山からは離れていって 山の北西に500mほど舗装路を歩いて 上野名張バイパスの手前から南に向かう山道に入ってみることにしました
山に入ってみたものの どの辺に地蔵さんがおみえなのかは見当もつかないので とにかく裏山の頂上に向かうことにします スマートフォンのマップで自分の位置を確認しながら 途中の脇道には入らずひたすら頂上を目指すと 山中を400mほど歩いたところで山頂に続く小道に出ることができました ここからがようやく目的の光明寺の裏山です
頂上を目指して小道を7〜80m歩くと 等高線に沿って右手に細い脇道が伸びていて その先に覆屋が見えます どうやらそれほど迷うこともなく目的の地蔵さんを見つけることができました

丸みを帯びた大磐の正面を長方形の枠に彫り窪めて その中に二体の地蔵さんを半肉彫りにしています

右の地蔵さんは合掌し 左の地蔵さんは宝珠と錫杖を持っています
二尊の頭部の間に阿弥陀の種子「ह्रीः」キリークが 像の右側に「南無阿弥陀佛」左側に「寛永六年卯月一日」(1629)と銘文が彫られています

覆屋の前は少し広くなっていて そこにも地蔵さんが立っています
光背の上部に三つの種子が彫られていて 中央に「ह्रीः」キリーク 右側に金剛界大日の種子「वं」バン 左側に胎蔵界大日の種子「अ」アが並んでいます 天文前期の作と考えられています ※「伊賀の石仏拓本集」市田進一氏

他に陰刻された五輪塔が二基
極端に単純化された意匠で なにやら呪術的な雰囲気も漂ってきます 不思議な神秘的な空間が広がっています

来た道を引き返さずに すぐそこの山頂に立ち寄ってみることにしました
山頂には「龍王」と彫られた石が祀られていました 麓に雨をもたらす水神でしょうか その覆屋を中心に山頂部全体が平らに均されていて祭祀場になっています 足元に光明寺の甍が見えています それほど離れた場所ではないのですが ここは全く別の世界のようです

 参考書籍

「伊賀の石仏拓本集」P110〜111 市田進一

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