室町時代
国道165号線池の台口の交差点からコリドールロードを南下します そして上小波田運動公園の手前を右手に折れます この道は比奈知方面への古道だったのでしょう 250mほど行くと 二本の巨木に抱きかかえられた小さな覆屋が見つかりました
覆屋の中には三個ほどの岩が折り重なっていて その正面に像高30センチほどの地蔵立像 その右側面にもやや小ぶりな二体の地蔵さん 奥の岩の下部にもさらに一体の地蔵さんが彫られています
はりた
上小波田は国道北側の集落下小波田と対の集落ですが 「小墾田」より転じた地名と言われています これは小さな「はりた」開墾した田という意味で 伊賀市治田や松阪市八太町など「はりた」を語源とする地名は割合多く残っています
東之狭間池と新田開発
地蔵さんの小道をさらに辿っていくとゴルフ場に取り込まれた大きな池に繋がっています 「東之狭間池」(とのはざまいけ)と呼ばれる池です
藤堂藩は美旗新田の開発の為に高尾から全長15kmにも及ぶ水路を引いていますが 水路の開削に先立って滝之原村内に「大池」を 上小波田村内にこの「東之狭間池」を築いています いずれも承応四年(1655)に完成しましたが 東之狭間池は三年後の明暦四年(1658)に大池は延宝三年(1675)に決壊し大きな被害を出しています
地蔵さん建立の経緯をそれらの事績との関連から想像したくなるのでが この地蔵さんらは室町末から安土桃山時代の作と考えられているのでその想像はあたらないでしょう 新田開発に伴った辛苦の全てをこの場所で見つめていたはずです
正面に見える岩の側面に彫られた地蔵さん二体 奥の岩にも地蔵さんが一体
参考文献
「名張の金石文撰ー石仏•石塔編」P34 名張金石文研究会
「名張市史」
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