旧玉城町の町史を眺めていたら 三重県の平野部にも磨崖仏があるという さっそくでかけてみることにしました
町史には『長更地内の大仏山の大岩』とあります
長更の在所は大仏山丘陵からは1キロほど南西に離れていて 有田小学校や有田保育所のあるあたりなのですが 現在の大仏山公園の敷地のほとんどが長更の飛び地となっています 『大仏山の大岩』という以上は丘陵斜面の法面にあるだろうから 長更の在所から近い場所で大仏山丘陵の等高線の間隔が密な場所はというと 大仏山の南西端だろうとあたりを付けてでかけてみました
大仏山公園の駐車場に車を停めて丘陵の辺縁部に沿って歩いてみると 住宅街の路地を入ったところであっけなく見つけることができました ラッキーでした
弘法大師が爪で描いたという『爪かき地蔵』の説話は各地に残っています ここにも同様の言い伝えがあって 町史には次のようにあります
「昔長更の人が山の柴を刈りに行ったとき、山賊に襲われた。通りがかった弘法大師は岩穴に山賊を押し込んで、出られないように爪で地蔵を描いたという。」
そう言われてみれば山の斜面の横穴に蓋をしたような風にみえなくもありません お大師さんがせめて釘の先っぽで彫ってくれたらもう少し見易い写真になったかもしれませんが
長更は「長深」とも書くようで昔は深い湿地が広がっていたようです
地蔵さんから少し離れた丘陵の斜面には 増水した際の吃水線に沿って墓地があって その墓地と関係した地蔵さんかもしれません また この大仏山という場所は現在も市町境が複雑に入り組んだいるのですが 古来より多気郡と度会郡の両神郡の『境界』にあたっていて この神や鬼の世界と人の世界とが接する土地に 塞の神のように結界を見張る地蔵さんではなかったかという気もします
参考書籍
「玉城町史下巻」P941 玉城町
コメント