年代不詳

伊賀には変わった地名が多いのですが 「四十九町」という地名もそうです
行基の四十九院と関係があるのかなと思って調べてみました
「伊水温古」を広げて 四十九町にある寺院「弥勒堂」を探してみると
あった 廃寺になる以前の寺号を「弥勒院」として その所在を『四十九院村』と記しています 中世にはそう呼んでいたようです
そして
『聖武皇帝行基菩薩ニ勅シテ 一國ニ一箇ノ精舎ヲ造リ土卒ノ内院ヲ模四十九院ヲ造立ス 往日ハ此里ノ名ヲ田守ト云 四十九院ヲ造立スルヨリ号四十九院トノ郷談也』
とありました
やはり「四十九町」は 行基開基の四十九院に因んだ町名のようです
すると弥勒院(現在の弥勒堂)は行基が建てた四十九院のひとつだったのだろうか

兜率天の内院は 中央の摩尼宮殿で弥勒菩薩が説法しておられて その四周に各々十二院が置かれているので 合計すると四十九院になります 四十九という数は この兜率天内院の四十九という数に因んだものと考えられているので 弥勒仏を本尊として祀る弥勒院が四十九院に連なる系譜を持つとしても不思議はありません
四十九院は一般的な寺院と違って 火葬場を付帯するなどして 庶民の葬送と深く関わった道場なので この辺りでは浄土信仰も盛んだったのでしょう
四十九町の西隣 守田町には立派な十三仏の磨崖仏が二基あります
先の「伊水温古」の中に『往日ハ此里ノ名ヲ田守ト云』とあったのですが
守田町の名前の由来も この「田守」と関係があるのかもしれません
守田町の二基の立派な十三仏も 四十九院・葬送・浄土信仰 これらを背景としているとしたら より納得がいくなあとおもいます
考えながら好きなことを書き連ねているうちに 前置きばかりになってしまいました
弥勒堂から守田九品寺へとたどる道の途中
小さな木立の中に隠れるような磨崖の地蔵さんが立っておられます

磨崖の表面に薄い舟形を彫り その中に薄肉彫りされた地蔵さん
右手に錫杖 左手には宝珠を持っている

街道沿いの在所の集落が尽きところ
磨崖の背後の路傍では山神さんも警備のお仕事をしておられる
この地蔵さんも 「四十九」という土地の名前と繋がりがあるのだろうか
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