津市稲葉町わたしが勤めていた職場のすぐ近くに稲葉神社という宮さんがあります
延喜式には旧久居市内に式内社を四社をあげています
新家町の物部神社 戸木町の敏太神社 榊原町の射山神社 そして稲葉町の稲葉神社です
ですから少なくとも平安中期にはこの地で信仰を集めていた神社です
社殿の後に懸税(かけちから)の御霊石と呼ばれる大石が横たわっています
この地上高1.9m長さ1.8mに及ぶ巨大な花崗岩を御神体としています
神社の縁起によると この神社は志摩伊雑宮から勧請されたもので
御神体の大石は勧請の夜 突然一夜にして社頭に出現したといわれています
『遷宮之竟夜社頭之後ニ大石出現ス』 延喜式神名帳
また勧請と同時に稲一株を咥えてこの地に飛び立った鶴の化身がこの大石だとも言われて
この地に稲作を伝えた神さんと信じられています
現実には「懸税の御霊石」が一夜にして出現するはずがありませんから
伊雑宮から神さんが勧請される前 延喜式が編まれた平安時代よりもっともっと前
そんな遥か昔からこの大石は「オレとこの在所の神さん」だったはずです
古来 石や岩は神さんが降臨する依代と考えられていました
では 遥か昔に「懸税の御霊石」に降臨した「オレとこの在所の神さん」はどんな神さんだったのでしょうか
神道や仏教よりも前の最も原初的な神さんを想像すると
在所の死者の御霊が山を上り長い歳月をかけて清まった祖霊神
つまり山神さんだったろうとおもいます
特別な祭日には「懸税の御霊石」に降りてきてもらって
飲食を共にして祝うこともあったのではないでしょうか
そういえば小正月には稲葉の涅槃寺の裏山で山神神事が執り行われます
どんど火を焚いて その火で餅を焼いて持ち帰ります
神さんと交歓する祭りが営々と続けられていると考えることもできます
さて話を稲葉神社に戻しましょう
伊雑宮から勧請された稲葉神社の祭神は大年命と玉柱屋姫命の二座です
玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)は天叢雲命(あめのむらくものみこと)の子孫
伊雑宮のある磯部の先祖神さんで 御神体は『御形鏡坐』とあるのでここでは置いといて
もう一柱の大年命については
倭姫命世記に多野田蝿田両郡ノ氏神之縁起として『大歳神一座 国津神御子 御形石坐』とあるので
勧請の夜に突然大石の姿で出現した神さんはこの神さんだとわかります
大年命はスサノオ命と神大市姫との間に生まれた神さんで 要するに年神さんのことです
年神とは稲魂を育てる神さんで 立春の前に他界から降りてきて豊穣を約束する神さんです
つまりはお正月の神さんと言うことですね
お正月は元々は年神を迎える行事でした 門松は年神の依代 鏡餅は年神への供物でした
そして年神さんは近世以降は祖霊信仰と習合していきます
柳田國男は年神を「一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神である」としています
仏教や神道より遥か昔に大石に降り立った神さん 神社の主神である大年命 涅槃寺の裏山で餅を焼いて祝う山神
その全てが里人に豊穣を約束する祖霊の神さんでした
今よりも「死」は近くにありました
ばあちゃんやじいちゃんだけでなく 子や兄弟を亡くすこともあったでしょう
死んだ多くの人の魂が 山の高いところで 里を見守ってくれている
稲葉の神さんは そんな神さんだったのかなとおもいます
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