年代不詳

多気町の山中で奈良時代の観音さんが発見!と聞いて
早速出かけることにしました
早速出かけることにしました
多気町三疋田の空釈寺 その境内に観音堂が建っています
こちらは霊山寺の観音堂なのですが 今はお隣の空釈寺さんが管理されているようです
お堂の中には平安時代の二体の十一面観音さんがおいでで
県の有形文化財に指定されている空釈寺に伝わる『三疋田村霊山寺観音略縁起』には
「当村の南の高山の頂上に伽藍を造営し、この二尊を安置す。その古跡今に堂の広という この地遠隔にして風雨の時参拝に不便なので、現在地に移し奉る」とあります
要するに 霊山寺の旧地「古跡堂の広」は「田見山」という山の「下駄のはま」という場所だということのようです
三疋田の南西に2キロほど離れた山中に近長谷寺のある城山(291m)があります その城山の北東の尾根辺りがではないでしょうか
先の霊山寺観音略縁起には 天明六年(1786)の銘があるので 江戸中期頃まではその辺りに霊山寺はあったのだろうとおもいます
こちらは霊山寺の観音堂なのですが 今はお隣の空釈寺さんが管理されているようです
お堂の中には平安時代の二体の十一面観音さんがおいでで
県の有形文化財に指定されている空釈寺に伝わる『三疋田村霊山寺観音略縁起』には
「当村の南の高山の頂上に伽藍を造営し、この二尊を安置す。その古跡今に堂の広という この地遠隔にして風雨の時参拝に不便なので、現在地に移し奉る」とあります
要するに 霊山寺の旧地「古跡堂の広」は「田見山」という山の「下駄のはま」という場所だということのようです
三疋田の南西に2キロほど離れた山中に近長谷寺のある城山(291m)があります その城山の北東の尾根辺りがではないでしょうか
先の霊山寺観音略縁起には 天明六年(1786)の銘があるので 江戸中期頃まではその辺りに霊山寺はあったのだろうとおもいます
さて今回の 奈良時代の観音さんが発見! はこうです
霊山寺の旧地には観音さんの石仏があったと文献にあるそうで 地元の有志の方が何度も山に登って探されたそうです
あるとき滑って転んでしまい ふと前を見ると石仏の顔が見え そこを掘って探すと三つに割れた観音さんが見つかったといいます
三つに割れていたものを修復して 現在の霊山寺境内に祠を立ててお祀りされています
長い前置きになりました
格子戸の隙間から写真を撮らせてもらいました
右手に錫杖 左手は胸の前で宝珠を持って 地蔵さんの姿をされています
頭上に金色の 多分 観音さんだから宝冠を被っておいででしょうか
右手に錫杖 左手は胸の前で宝珠を持って 地蔵さんの姿をされています
頭上に金色の 多分 観音さんだから宝冠を被っておいででしょうか
石仏をめぐっていると 色々な地蔵さんと出会います
中には汚水の沼に 打ち捨てられたような地蔵さんもあって 心が痛むこともあります
きょうは三疋田の観音さんに出会えてよかったです
これほど大切にされてみえる観音さんは 他に知りません
奈良時代というのはちょっとオーバーかとおもうけど…
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