江戸前期(三体地蔵)

雲林院 うじいと読みます
長野工藤氏の一族 雲林院氏の城下であったところで 林光寺の南西丘陵には城跡が残っています 長野工藤氏といえば室町時代を通じて中勢に武威を轟かせた有力国人でした その長野工藤氏とともに工藤の両督と呼ばれた雲林院氏 城下には大和刀匠を招いて刀鍛冶が盛んであったといいます
県道42号を安濃川の上流を目指します 龍王桜で有名な長徳寺を過ぎてしばらくいくと左手に「研ぎ石」と案内板が出ています そこから県道を外れて少しのところに件の研ぎ石がありました 車なら先ほどの長徳寺前に河内渓谷の駐車場があります
岩の前面
浅い外枠を刻んだ中に三体の仏さんが彫られています
岩質が脆そうなことと彫りが浅いことから像容はわかりにくいのですが
錫杖を持った三地蔵さんのようです

この安濃川沿いの林道が旧道だったのでしょう
川に沿って進み錫杖湖を越えて南に向かえば大山田
北へ向かえば加太へ抜けることもできます
相応の往来もあったのだろうとおもいます
その道中の無事を見守ってくれた地蔵さんでしょうか

研ぎ石
長徳寺門前の林の中に長さ3メートル、
現地案内板より引用
高さ1.5メートルほどの一塊の巨石がある。
地元では、この石を「研ぎ石」と呼ぶ。
室町時代の終わりころ、「大和手掻」からの刀工が
雲林院の城下に住んでいたと伝えられる。
この巨石の稜線に沿ったところどころに、
浅くちょうど刃物を研いだようなくぼんだ痕跡がある。
雲林院の刀工が最後の仕上げ「真砥開け」という
最終工程に使用した痕という伝承があるが、
農作業で使用した鎌などを研いだともいわれる。
また巨石には、江戸時代はじめの頃に
彫られたと思われる三体の石仏が
浅く彫りつけられている。
以前は研ぎ石の前を安濃川に沿って林道が
通っており、その林道を往来する人馬の安全を
祈念して彫られたのだろうか

参考書籍
「芸濃町史(上)」P169 芸濃町
コメント