享保三年(1718)
原の石仏庵 県道多気伊勢線を伊勢に向かって走っていると 左手に西国霊場の観音さんが並んでいるのが見えますよね そこのことです
そこから左手に入っていく道が旧熊野街道で 居並ぶ観音さんらの向かい側の建物 現在の原小集会所のある場所が昔は原大辻観音庵という尼寺でした
西国三十三所名所図会の中に当時の原大辻観音庵の様子が描かれています(玉城町史に収載されています)「接待茶屋の向ふに標石あり 勒して曰く 巡礼道引観世音」
その標石がこちらの写真です
如意輪観音さんです 左右に「本尊」「前立」の文字が刻まれています
観音庵の本堂には木像の観音さんがおいでだったそうですが 今は他所が預かっておられるとのこと
伊勢参宮を終えたあと 田丸で装束を替えて 熊野詣に旅立つ人が多かったようですから この辺りの賑わいも 相当なものだったのでしょう 茶屋で接待を受けて ここでちゃっかり西国巡礼も済ませたうえで 熊野路をスタートしたのでしょう
伊勢中世史研究会が平成の終わり頃にこちらの三十三観音さんを調査しておられて その報告が会報に掲載されていました 観音さんの銘文に刻まれた施主を調べたところ 三河が13基 伊勢が7基 大和4基 紀伊3基 江戸2基 尾張1基 とのことで 造立を発願した宣黙和尚のプロデュース力も大きかったのでしょうが 講の地域を越えた広がりに驚かされます
参考書籍
玉城町史下巻 P458 町教育委員会町史編纂室
伊勢の中世10 伊勢中世史研究会
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