来迎寺のお坊さんで知っているのは覚性院の戒言さんです といっても江戸時代のことですが
戒言さんは宣長の門人で『菅笠日記』の奈良吉野旅行にもついていっています
帰り道 榛原まできた宣長は 空模様も怪しいし 山険しい伊勢本街道よりも 初瀬街道を帰りたかったのですが 戒言さんが 皆が行っとるで大丈夫や というので 渋々伊勢本街道をとったら 石名原あたりで雨に降り込められてえらい目にあったというお話でした これは明和九年(1772)のこと
早稲田大学の教授であった加藤諄氏が早稲田大学図書館紀要(早稲田大学図書館紀要編集委員会編 (通号7)1966.03)に掲載された『叡山西塔の仏足石と豪観上人伝』という論文が インターネット上の COREからダウンロードして読むことができます そこに出てくるのが来迎寺の妙有上人です こちらは文政二年(1819)のこと
叡山西塔の仏足石の碑文に 青蓮院尊宝親王の筆で
文政二年己卯秋八月建立
発願 正観院執行探題前大僧正豪観
助願 勢州松坂来迎寺上人妙有
施主 同州山田河崎野村五郎右衛門正通
とあるそうです
論文では碑文にある文政二年と 天台座主記にある文政八年との間の齟齬について 謎解きがされていて面白いのですが ここでは触れません でも 来迎寺の妙有上人が叡山西塔の仏足石の建立のお世話をされたことがわかります
その妙有上人は来迎寺にも仏足石を建立しています
上の写真に見えているのが その碑文を刻んだ石碑です
叡山西塔のものを写真で見ると 上部がかまぼこ形の板石で
こちらの石碑のような湾曲のある駒形石ではなさそうです
よく見えませんが 釈迦牟尼仏足石 と刻まれているようです
石碑の根元に置かれた仏足石です
奈良薬師寺の国宝の仏足石と似た図案です
うかつにも石碑の側面を見てこなかったのですが
紀年銘とか願主も刻まれているのだとおもいます
たぶん同時代 文政から天保にかけての建立なのでしょう
境内に見慣れない石仏をもう一基見つけました
魚籃観音かもしれませんが たぶん一葉観音でしょうね
裏面に漢文の偈文が刻まれていましたが わたしなんかには読めません
初めてお会いしました
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