南北朝時代
伊賀市指定文化財
桐之谷地蔵の発見
『寺田の石造地蔵菩薩坐像群』が三重県の有形文化財(彫刻)に指定されました これは「桐之木谷地蔵坐像磨崖仏」の発見にともなう伊賀市有形文化財への指定(2016年)がそのきっかけになっています 大岡寺の旧境内地にもう一基の寺田型地蔵が埋もれているという話を耳にすることはありましたが ようやくその所在が明らかになりました
さっそくその桐之谷地蔵さんに会いにいくことにしました しかしその所在に関する情報はまだ少ないのです 「広報いが市」の記事に「大光寺現本堂の西方、やや南に下った谷あいに」とあるのが唯一の手掛りです とりあえず毘沙門寺から岡山の山道を大光寺をめざすことにしました
途中で行者堂の役行者さんや北向地蔵さんにもご挨拶をしながら ようやく大光寺の境内に入ると たくさんの獣の足跡に驚かされます 境内に落ちた銀杏の実を食べに来ているようです 本堂の外から御本尊さんにご挨拶して 境内をくまなく歩いてみましたが 桐之谷地蔵さんの居処のヒントは見つかりません 仕方なく境内を抜けて岡山山頂へと続く道を先に進むと 実にあっけなく路傍の看板を発見しました 谷に下る斜面を背にして「桐之木谷地蔵坐像磨崖仏」の看板が立てられています しかし木立が展望を遮っていて斜面を降りた先の様子はよくわかりません そこそこ急な斜面です 最小限の機材だけを持って斜面を降りることにします 木立の幹につかまりながらそろりそろりと降りていくと ほどなく谷に下りることができました 大光寺の前身 大岡寺の堂宇のあった場所のようです 沼が広がっています 古の園地でしょうか 水辺まで下りていき 狭い畔を少し歩くと ようやく地蔵さんの姿を見つることができました
斜面に半ば埋もれた2mばかりの大きな岩 下部はまだ土中に埋まったままです その正面に 上部隅切りの龕部を彫り窪め 頭光と身光の二重光背を背にして 八角の四重蓮華座上に半肉彫の地蔵さんが座っています 他の2基「北向地蔵」や「坂之東地蔵堂の地蔵石仏」に比べると かなり簡略化された表現ですが 土中にあったためよく残っています
岡山
帰路 参道を下りながら「岡山」という場所が持っている意味についてとりとめのない考えを巡らせました 大山田辺りの小字名を眺めていると 「墓ノ谷」や「地獄谷」など中世以前の葬地であったと思える字名がちらほら見受けられます 他にも「アコ」という小字もありますが 古代の葬地を「阿古谷あこや」と呼ぶことがあったことから それが転じた字名のように思えます 「岡山」は北に隣接する「南宮山」とともに古代からの霊山だったのだろうと思いますが これももとは「あこややま」または「あこやま」と呼んだ可能性があるとおもいます そのような理由から 浄土信仰と結びつきやすい場所だったのではないでしょうか
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