枇杷ヶ谷地蔵 (ビワン谷の地蔵) 津市安濃町草生

年代不詳

かつては「安濃嶽」と呼ばれた経ヶ峰は 山頂に経塚が築かれ聖なる山とされてきました 安濃からも芸濃からも美里からも頂上に向かう登山ルートがあります
草生地区からの山出ルートを 県道脇の駐車場から600mほど歩くと コンクリート製の小さな礼堂があって 対面する山肌の高さ2m幅1.5mほどの自然石に小さな地蔵さんが彫られています 枇杷ヶ谷地蔵と呼ばる地蔵さんです

摩耗が激しいが 右手に錫杖を持ち 左手で胸のところに宝珠を捧げ持つ地蔵さんである
信長に焼かれた竜泉寺にまつわる遺構と考えられているので 室町時代に造立された地蔵さんだろう

枇杷ヶ谷地蔵の由来

枇杷ヶ谷の地蔵尊は霊験あらたかで麓の部落の信仰厚く、消災、除病、修学など諸願成就を願う峰山の守護佛として参詣する人が多かったと言い伝えられています。この地蔵尊は八世紀ごろ平安時代の後期に弘法大師が各地を巡錫の折、この地にも来られ、この岩に刻まれたと言われています。
 この奥十町ほどの押場なる地に弘通せられし真言宗の古刹端谷山竜泉寺の跡があり、その東の山に在った長峰山安養寺と共に十三世紀室町時代には七堂伽藍が建ちならび寺院の勢いは近隣を風靡していたといわれています。
 十五世紀戦国時代に入り、織田信長が北伊勢侵攻のとき弟信包によって、これら寺院は跡形もなく焼きつくされたと郷土史に記されています。
 それ故か、付近の山を踏査しますとチャンチャン淵、墓の谷、梻地蔵、長峰山に祠の石佛階段跡など遺物をみることが出来て往時が偲ばれます。
 この由緒ある地蔵尊をいつの頃からかお守りを山出、岩城の両区がするようになりました。そして昭和六十一年には風水害によって壊れたお堂を両区が浄財を募って礼拝堂を建て、信仰のための聖地として保存することにしました。この地蔵尊の由来板の掲示も、あれから二十年の歳月で傷み、新しく作りなおしました。この枇杷ヶ谷地蔵の由来を信じ、佛を崇める心の縁にして大事に保持してまいりたいと念じています。人々に幸多からんことを。
平成十七年五月吉日
山出区
岩城区 

現地案内板より引用
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参考書籍

「安濃町史通史編」安濃町  P746

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