三津地蔵堂の地蔵石仏 伊勢市二見町三津

文禄三年(1594)

二見町三津 倭姫命が五十鈴川を遡ってここで船を停めたことから『御津』と名付けられたといいます
今では南の丘陵地を安土城が占めていて 三津の集落はさしずめ御城下といったところでしょうか
国道と県道が並行して東西に走っています 更にその南を東西に延びる道が旧二見道です 三津の在所はその古道の両側に広がっています
旧二見道を明星寺の東で南に折れると その道は慶春寺の西側を通って集落を南側に抜け 安土城の西側の周縁を通って引舟橋に続いていきます
道が在所を抜けるところ 三津農業集落センターの隣に立派な地蔵堂が建っています そこにお祀りされた安土桃山時代の地蔵さんです

お地蔵さんの由来

三津会所隣の地蔵堂の造像は文禄3年(1594年)であって延命地蔵である。このお堂は昔から子供たちの良い遊び場であった。男の子は梁や地棟の上で「取り子」ごっこをやれば、女の子は草の葉っぱを取ってきて石でトントンと草餅つきをやった。その餅つき穴がいくつも入り口の土台に残っていた。また、男の子が上からドスンと落ちても怪我をするものは誰もいなかった。お地蔵さんが守ってくれたのである。約400年以上前より今日まで村人たちは、延命地蔵さんとして心より厚くお慕いし信仰してまいりました。この石造地蔵尊は二見町在銘最古の石造です。

現地案内板より引用

伊勢市内の六地蔵石幢によく使われる閃緑岩から黒緑色を抜いたような肌目の班れい岩に刻まれた地蔵さん 右側に 『永□□□□門』 左側に 『文禄三申午二月十五日』の銘文があります

そのまま引舟橋に向かって進んでいくと右手に見える「天狗岩」天狗が山から投げたと言われています

 参考書籍

「二見町史」P581 二見町  

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